注文通りに自由な発想!映像で見るピカソの反射的発想に脱帽

1956年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞した「ミステリアス・ピカソ/天才の秘密」は、ピカソが延々と絵を描く姿を克明にとらえたドキュメンタリー長編映画です。ピカソの絵は、美術学校時代から「青の時代」を経て、「キュビズム」で改革、「新古典主義時代」でさらに改革、戦争が起きて、二転三転と自己の可能性を実験的に広めた結果、どのようなスタイルにも適合可能な才能を開花させてしまいました。

映像がテレビに変わる時代の最中作られた、「ミステリアス・ピカソ/天才の秘密」ですが、この映画は非常にスリリングな演出を施しており、ドキュメンタリーではありますが、ピカソの絵画制作をクローズアップするための段取りを随所で見る事ができます。設定では監督のアンリ・ジョルジュ・クルーゾーが「自由に書いてくれ」というような指示を出して、それにピカソが応えていくという内容のストーリーですが、実際にはピカソの独壇場で、絵画制作が始まり、終わりまでその場の緊張感は途切れる事がありません。

現実世界でピカソが目指したものは、生き物の生命力を遺憾なく表現することにあると言えます。女性を愛し、憎み、キャンバスに想いをぶつけ、できあがったのが子どもの絵であり、愛人の感情高ぶる姿、または、猫と鳥における弱肉強食の世界がピカソによって作り出されてきましたが、この映画でも魚が牛に、牛が人へと変化していく過程をピカソの手元に焦点をあてて、驚異的な絵画の教科書であると言ってもいいほどの、迫力を呈しています。

ピカソは1954年に27歳のジャクリーヌ・ロックと出会い、カンヌの「ラ・カルフォルニ」に住み始めました。以後20年間、人生最後の完全燃焼のために恐ろしいほどの制作意欲に満ち溢れ、数々のジャクリーヌの肖像画を描いていきます。そんなエネルギーに満ちた晩年の姿をとらえた映画の本編で描いた絵は全て破棄されていることから、「ミステリアス・ピカソ/天才の秘密」は、非常に希少価値が上がったドキュメンタリー映画と言えます。

そんなピカソが最終的に目指したのが、子どもが描くような自由な発想の絵画でした。これまでにも増して、計算ではない真の発想的転換を追い求めて、全ての技法を放棄したかのような、平面的な絵画制作を開始していきます。その傾向は、徐々に強くなっていくのですが、まさにその気運が高まる中、ドキュメンタリー映画は製作されました。気取らない絵画制作を開始したピカソの生の姿がスクリーンに映し出され、晩年の最も力強い画力と眼差しによって、画面を見た後の残像には、ピカソが描いた動物や人の面影がいつまでもちらつくような、印象を残しています。

しかしピカソはなぜ、自分の造り上げた空間やスタイルを放棄してまで、単純な構図に拘ったのでしょうか。「青の時代」から「アヴィニョンの娘たち」までの過程と実績、積み重ねた記憶と学習能力とは何だったのか、最終的にピカソが決意したのは、自由からの開放ではなく、自由への支配だったと考える事ができます。