これぞスペイン気質!ピカソがお手本にした画家はベラスケス

ピカソは最初から抽象的な絵画を描いたわけではなく、風景画や人物のデッサンを中心に制作活動をしていました。特にピカソの絵画教育に熱心だったのが、画家で美術教師であった父親のホセ・ルイス・ブラスコでした。ホセは古典主義者だったので、「絵画とは素描=現実世界を忠実に描写すること」をピカソに叩き込みました。

ピカソは11歳でホセが勤務するラ・ロンハ美術学校に通いながら、人物画のスケッチから学び始めました。その結果、ピカソは生涯人物を中心に描くことになります。ピカソは人一倍努力した上に転生のデッサンにおけるセンスが備わっていた事もあり、みるみる写実的な絵画を習得していきました。

まず光と影のバランスと濃度調節における感覚をとらえる事に成功し、鉛筆でのデッサンだけで、人物をリアルに表現しました。通常これらの技術を身につけるためには、様々なデッサンの積み重ねが必要になりますが、ピカソは美術学校に入学して2年も経たないうちに、写真のような肖像画を完成させるに至りました。そしてピカソに真の芸術家としての素質を見たホセは、画家を辞め更なる美術教育に力を注ぐことを決意したのです。

まずピカソが手本にしたのが17世紀のスペインで、宮廷画家として活躍したディエゴ・ベラスケスでした。ベラスケスは国王フェリペ四世を中心に、宮廷内の人々を数多く描きました。描写の特徴として、黒をベースにした背景と赤を中心にした衣装を身にまとった人物をリアルに表現するという、非常に印象的な肖像画なので、人物の肌の色に釘付けになります。

ピカソもそれに習い、黒の背景を用いた人物画の製作に取り組んだわけですが、ピカソは肌の質感を表現するために用いた白を巧みに使い分けて、人物描写に成功しました。特に父親ホセの肖像画や自画像にはベラスケスの影が潜んでいると言ってもいいほど、忠実にその技術を再現させました。

その後マラガからバルセロナに移住し、更なる古典主義的な絵画を父親から学び、ベラスケスの手法を自分の物にしたピカソは、肖像画に空間を用いて、兄弟の聖礼式や死をモチーフにした非常に技術的にも高度な絵画製作に成功し、国展で佳作、マラガの地方展で金賞を受賞しています。

ピカソがベラスケスを敬愛し、父親の熱心な美術教育によって生まれた初期の作品は、非常に高度な技術を兼ね備えていますが、若干15歳で成し得た快挙は、周囲からの影響よりも、天性の技量であると言ってもいいでしょう。特にピカソの素描は白の芸術と言ってもいいほど、黒い背景と白い衣装の色の反転効果を用いたものが多く、ベラスケスの赤に変わるピカソ独自の色が誕生しました。

ただ白い絵の具を用いる時に、オイルを少なめにして、白のざらつきを際立たせるベラスケス独自の技法は、そのままピカソに受け継がれていると言っても過言ではありません。特に服のしわを表現するときに用いる白に関して言えば、若干煩雑に引くラインの美しさは、群を抜いています。