反マティスというのは大嘘!ピカソはあらゆる芸術を吸収していた

ピカソの12歳先輩にあたるアンリ・マティスは、ゴッホやゴーギャンの色彩やバランス感覚、総合的な表現力に魅了され、独自の赤と青、緑のコントラストをマティスカラーとも言うべき、美しい色彩を持ってして、ある種具象的な肖像画を中心にピカソと同時期に活躍した画家ですが、ピカソの「横たわる裸婦と花」のように、人物と空間を織り交ぜた2次元と3次元の狭間で浮き彫りにされる美的感覚というものは、ピカソと非常に近いラインに位置していると言えます。

マティス作、1906年の「生きる喜び」は、奇しくもピカソの「アヴィニョンの娘たち」が発表された前年の作品で、美を追求するマティスと、それを破壊するかのような行動に出たピカソは、まるで反逆児と化した側面を露呈することにより、世間の冷たい反応など吹き飛ばすかのごとく、破竹の勢いで分析的キュビズムの理論を表現したことから、革命家と言う意味では、ピカソはパリで最も注目される画家へ成長していきました。

しかしマティスは自分のスタイルを変えることなく、じわじわと人々の心に絵画表現の極限ともいうべき、安心感を植えつけていきました。1910年の「ダンス」は生命感に満ちた、シンプルで力強い人間の絆と喜びが表現されており、ピカソも独自のスタイルに翻弄されながらも、1928年の「泳ぐ女」や」「アクロバット」では、マティスと同じく喜びを素直に表現しています。

要するにピカソは、マティスと近い位置にいながらも、常に対極路線を突き進んでいたわけですが、ピカソがマティスの美的感覚に反応せずにはいられなかったことが分かります。そしてピカソとマティスの最大の共通点は、適度な厚塗り表現にあることから、その対極線上には、ヴァン・ゴッホの存在が浮き彫りにされてきます。ゴッホの絵画の方向性は、90%以上が風景画で占められているのに対し、ピカソやマティスの概念的施行からはズレが生じ、共通点を見出すことは困難と思われがちですが、ゴッホの絵画というものは必ずしも、実際の景色と同一の写実を帯びていないという特徴があり、脳内的発想が絵に加えられていた事を考慮すると、厚塗り技法だけでなく、色彩感覚や立体表現への独自の工夫や発明で成り立っていることから、非常に空想的な風景画の第一人者=改革者という見方ができます。

ただピカソは青年期に父親の英才教育を受けながら、ゴッホに感化されたような「石切り場」や「家と小麦畑のある風景」を描いていますので、ベラスケスの現実よりもリアルな人物表現と共に、発想的な写実というものをすでに吸収していた事が分かります。アカデミズムから解き放たれたパリ時代にはロートレックやルソーの超空想的未来志向が、ピカソの眠っていた真の発想力と言うものを前面に開花させていきました。その時期に製作された「アルルカン」などの青や赤をベースにした作品は、「青の時代」、「薔薇色の時代」の構造改革を予感させるものであり、ピカソの原型は、ピカソにインスピレーションを与え続けた偉大な画家たちのエキスがふんだんに盛り込まれていることに気づかされます。