「アヴィニョンの娘たち」はピカソの幾何学的発想の結晶

プルシャンブルーをあしらった「コートを着た自画像」から3年、ピカソはさらなる独自の道を追い求めて、自らの絵画に暖色系統の色彩を配置し始めました。空間を描くと言うよりかは、人物描写中心の、シンプルではあるが、華やかな色彩のある画面構成に努めました。青年や女性像、その後、テーマ自体に傾倒した曲芸師の姿をピンクや水色の背景で描きました。これらの一連の作品は「薔薇色の時代」と呼ばれましたが、美しい女性のフォルムが徐々にぼってりとした体系の習作が描かれるようになりました。

特に注目したいのが、人の表情です。目玉がないただ黒いだけの目は不気味な陰影を浮かび上がらせています。「コートを着た自画像」は非常にシュールなタッチでありながら、古典主義的要素とピカソ独自の表現形態がバランスのとれた奥行きを造り上げています。しかし1906年の「自画像」は陰影表現を施してはいるものの、表情が人形のように固まっているため、ある種魂の抜け殻のように、人間の肉体のみの存在感以外の印象が排除されてしまっているのです。そしてピカソとは別人であるかのごとく、第三者的な視点から描いたとしか思えない節もあるのです。

その後も、5頭身の女性のヌードを多数描き、自画像も特徴だけがカスタマイズされたタイプに変化していきました。要するにピカソは、一つのビジョンの元に作品の製作を始め、必然的に全ての技法から色彩表現、習得してきた技術の応用を経て、余計なものを排除しつつも、新たな美術表現の形態を造り上げていきました。1907年の「アヴィニョンの娘たち」の製作にあたって、その一年前から習作を描き始めていますが、そもそも21世紀になっても「アヴィニョンの娘たち」の全貌は解明し切れていません。

なぜなら「アヴィニョンの娘たち」は、美しくない女性の集合体であり、顔が奇形して、3次元に生きる我々の想像力とピカソのビジョンが合致しないのです。もちろん当時の評価は散々なもので、ピカソが活躍する20年前に世を去ったヴィンセント・ヴァン・ゴッホでさえも、評価は悪いにせよ、美しいものを追い求めると言う芸術の根本的な的は外していなかった訳で、それをピカソは、ゼンマイの歯を抜いて、時間軸をずらしてしまうような行動を起こしているので、美しくない5人の奇形体を表現した真意は謎に満ちているのです。

しかし「アヴィニョンの娘たち」は、背景の茶色や白、青であしらわれた布と体が一体化しており、ただ闇雲に人物を配置したのではないということが分かるのです。女性一人一人の表情が奇形化してはいても、横を向きつつも正面を向いている状態で、かつ絶妙なバランス感覚によって配置されていると言う点においては、非常に高度な技術を駆使して組み立てられた絵画作品と言えるのです。そしてその後ピカソは彫刻作品を残していますが、ここに「アヴィニョンの娘たち」の面影を存分に楽しめる、立体作品としてはずっと見ていたくなるような造型模写に成功しています。「アヴィニョンの娘たち」はピカソの幾何学的発想の結晶であったと言えます。