ピカソの人間愛が凝縮!極貧生活で描いた恋人の優しい顔

ピカソの最初の愛人と言うべきか恋人と言うべきか、ピカソのことを親身に思ってくれる女性がいて、それがフェルナンド・オリビエでした。ピカソの友人であるカサヘマスへの死に対する悲しみをピカソ自信が乗り越える過程において、ピカソを一生懸命に支えた懇親的な女性だったのです。そしてピカソの絵画作品は、グレードが増していき、底知れぬエネルギーに翻弄されながらも、真の芸術とは何たるかを模索していきました。そして、ピカソの絵に変化を齎したのも、フェルナンドの存在あってこそと言えます。

ピカソは一度興味を持つと、徹底的に追求・分析し、それが間違っていないとなれば、あとは慢心的に突き進むと言う、洪水のごとくエネルギッシュでバイタリティーに満ちており、行き先など知る由も無く突き進むタイプの芸術家でした。フェルナンドがピカソを支えた時期と言うのは、ある種エネルギーの歪みからの開放時期と相重なっており、まさに新たな絵画の誕生過程の中において、ピカソはフェルナンドを見つめ続け、フェルナンドの優しい顔が何枚もキャンパスに投影されていったのです。

奇しくもピカソの絵画に化学反応が起こり、古典主義を脱ぎ捨てて以来の強い風が吹き荒れていました。フェルナンドの美しい顔が奇形した、モノクロで描かれる事もあり、ピカソの絵画は異次元的な空間にシフトチェンジして行ったのです。この一連の過程は、ピカソの歴史を語る上でもかなり重要な要素を秘めています。

そもそもフェルナンドの顔が奇形した状態になったのは、アフリカ民族の仮面をモチーフに絵画制作に取り掛かっていたからです。角ばった頬骨と瞳の無い目から受ける印象は、まさに別の空間に存在する生き物でした。そしてこの丸ではなく四角を基礎形体を人物画に用いたことにより、「美の崩壊」をテーマにした作品「アヴィニョンの娘たち」が誕生するわけです。「人間の作り出す美しいもの=芸術」の定義を真っ向から批判し、前衛芸術の総本山のパリ・モンマルトルでも「ピカソは狂っている」という批判が相次ぎました。

当時の生活は非常に貧しくはありましたが、様々なグループ展の中で徐々に高い評価を得るようになったピカソにとって、造り上げたビジョンを壊さないことには先に進まないという理由から、モンマルトルで得たピカソの個性は磨かれつつも、必ず崩壊の道を辿りました。

要するにピカソの「青の時代」は、友人カサヘマスの死を口実に、口火を切ったある種の連作であり、21世紀になっても、語り継がれるアカデミズムを継承しつつも、独自の発想力で造り上げた、傑作の数々を堪能できる作品群なのです。世の評論家は、ピカソの口実を運命にしたがる傾向にありますが、ピカソは強かな男です。恋人の顔すらも変形させてしまうことから、友人1人の死に対して、苦しみ続けるなどと言うことは考えられません。それを証拠にフェルナンドを愛しながらも、別の女性の肖像画を多数残しています。