0か100かの存在感!ピカソの最高傑作は「泣く女」か

「泣く女」のモデルになったドラ・マールと、同時期の愛人、マリー・テレーズは正反対の性格の持ち主であった事が分かります。ドラ・マールは気性が激しくワイルドでありながらも、女性の美しさを危険な色気に変えているようなタイプですが、これは「ドラ・マールの肖像」から「泣く女」、さらに「叫ぶ女」までの一連の作品から言えることです。それに反してマリー・テレーズの「マリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「花冠をつけたマリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「本を読みながら横たわるマリー・テレーズ」の一連の作品から、ピカソがマリー・テレーズを子どものように可愛がっていた事が分かります。

「泣く女」は殺伐とした人間の憎悪を美しく表現したピカソの最高傑作と言う事ができるのも、ピカソがこの世を去って、冷静に全作品を分析する事が可能になったからに他なりません。まずピカソの絵画を評価する時に、写実的な技術がなくなり、ポップカルチャーに目覚めた哀れな男と見れば、評価できる作品は、青年期のベラスケスさながらの絵画以外にありません。そのフィルターで「泣く女」を見ると、「泣く女」の表情と同じように痛々しい印象だけが先走り、美しさを見出すことができないのです。ただこれは150年前のアカデミー人種の考え方なので、今の時代には合いません。

今は写実的な絵画よりも、純粋に楽しめて、安堵できるようなモノが求められているため、ピカソのような異次元空間を往復するような、多面体の絵画は非常に重要価値ある芸術として、生き続けているのです。とくに「泣く女」に関しては、「ゲルニカ」の習作であったにせよ、適度な加減で装飾されたリズム感のある、青、緑、赤、黄色のコントラストも相まって、非現実的な空間が形成されました。

この「泣く女」の構図やパーツ一つ一つを見ると、髪の毛以外の部位が全て角ばっていることに気づかされます。そして涙がしたたる鼻と口元だけがモノクロで、ここになぜ悲しいのか、この後何を思うのか、という前後関係の空間を想像してしまいます。科学的に見れば、「泣く女」という絵の顔はロボットのように皮膚の構造が端的なのですが、全体を改めて確認すると、そこには悲壮感以外何もないのだと、再認識する事ができるのです。そして美しいこの絵画は、同時期に描かれたドラ・マールの他の肖像画に比べて、非常にドラマチックで、画面の空間に無駄が一切ない事が分かります。

しかしこれほどまでに細密にドラ・マールの内面を露呈してしまったことを考えると、この「泣く女」はある種、写実性を帯びた異次元の女と言うこともできます。そして対極的な絵画はこの世に一つしかありません。レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」です。ピカソは死後、より一層人気が高まり、晩年悪い評価を下していたマスコミもこぞって、賛美し始めました。21世紀になって、ピカソの絵画は一枚200億円という値がつけられ、それが1万点以上あると思うと、偉大な画家の可能性には底がないのではないかと思わされます。