21世紀の最先端芸術!目を閉じればそこにはピカソの面影

ピカソが20世紀最大の芸術家と呼ばれるようになったのは、ピカソの後継者たる人物がいなかったことと、古典的な継承なしに、アバンギャルドが発展しすぎたため、あらゆる技法を持つピカソが矢面に立たされた格好になりました。油絵という絵画の表現方法自体が、20世紀のものであるかのような考え方すら、用意に受け入れられるシステムが21世紀に形成されるという、芸術の混乱状態、麻痺状態、発展志向の増幅が爆発するかのごとく、インターネットと言う一つのチャネルが加えられ、皮肉なことに美術大学の受験者数は年々減ってきています。

真の芸術とは何かを問う若者は影を潜め、まるで若き頃のピカソがアカデミズムに背を向けたように、21世紀の若者もピカソの呪縛から逃れるために絵を描かずに、パソコンのキーボードを打ち始めました。いわゆるスクリプト言語の習得から導き出される最終的な結論は、統計学や実質的な人口に関する調査であり、一見芸術とは無縁の世界に思えますが、それらの事実をコンピューターで色や形に解析して、表現しなおすと言う、驚異的な芸術が誕生し、絵画作品は、蚊帳の外に置かれたような形になりました。
極端なことを言うと最大のアバンギャルドは、映画やポップスなどの音楽であり、そこにはピカソの呪縛は存在しません。なぜなら、ポップスはピカソを知らないアフリカ人が作った音が元になっている上に、映画も独立的な芸術と言われたり娯楽と言われたり、右往左往している状態なので、芸術を意識して映画を作る事はナンセンスではあったのですが、ヨーローッパではそれとは全く逆の方向を向いていました。映画は芸術だから、カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの芸術祭として50年以上も継続しているわけです。

このように21世紀の芸術は、娯楽的な要素が充満しているため、その境界線をとっぱらおうということで、「アート」というジャンルが生まれました。芸術=アートではなく、アート=芸術チックなモノ、というニュアンスが一般的になったのです。それでは、ピカソの存在意義はどうなるのでしょうか。オブジェや陶器、彫刻やボール紙作品を多数作成したものの描いた油絵は1万点以上にのぼり、ギネス・ワールド・レコードにも登録されたほどです。

内容と絶対数から言うと、ピカソの芸術は20世紀だけのものである筈がないのですが、草間やよいの様なアバンギャルドの代表格でさえ、ピカソを意識して活動していることから、芸術の真髄は、明らかにレオナルド・ダヴィンチなどの超立体派からピカソのようなポップカルチャーを網羅した芸術が21世紀の根底に存在しているのです。

現在の最先端芸術は、確かに多ジャンル化して、その発展が止まないので、国内各地で行われるビエンナーレでは、異常な盛り上がりを見せています。しかし目を閉じればそこには、必ずピカソの影が存在しており、未だにピカソ中心に時代が動いていると言えます。