脅威の表現力!14歳で誕生したピカソの最高傑作のひとつ

ピカソの最高傑作を挙げると、キュビズムの原形となった「アヴィニョンの娘たち」、青の時代の「自画像」や「人生」、戦争に言及した「ゲルニカ」、「戦争」、「平和」など、ピカソの代表作から探っても、作品はすべて傑作群なので、どこから切り出していけばいいのか、検討もつきませんが、一言言えるのは、ピカソがアカデミズムの教育を受けていた時代は、「白と黒」の群像絵巻だったということです。

そこにあるのは、一つのモノクローム的な印象ではあるのですが、もはや14歳で絵の勉強を始めたピカソの絵画は神秘に満ちているだけでなく、貫禄のある独自性を持っていました。この時点で、ピカソの運命はアカデミズムを継承するならば、それは見事なタッチで構成されていくことに、何の疑いも持つ余地はありません。それでもピカソが17歳でアカデミズムに替わる最先端芸術=前衛芸術の道に足を踏み入れた事は、現代美術にとって、一つの時代の始まりでもあったわけです。

ルネッサンス時代に生きた評論家たちは、「素晴らしい時代の到来」または「神聖化だけが全てではない」という二極的な意見に分かれたのは間違いありませんが、ピカソにとってもピカソのことをよく知る画廊たちは、ピカソの大胆な変化についていけたのか、いささか疑問の余地が残ります。ピカソが写実的な素描をしていた時代は、ゴッホの初期の農民の肖像画に通じるものがあり、白と黒を見事なバランスで使い分けされた絵画芸術の結集体でした。

晩年に描いた裸婦像に比べると、同じ人物が描いたとは思えないピカソの青春時代の絵画は、実にドキュメンタリータッチでリアルな肖像画が多数見られます。初期の代表作である「裸足の少女」や「長い髭の裸体男性像」など、本物を忠実に描きとった作品は、プロの画家でも太刀打ちできないほどの、生命力に満ちたものとなっていました。そして14歳のピカソが多くのデッサンと肖像画を中心に描いた末、15歳で発表した「初聖体拝領」は現在バルセロナのピカソ美術館に展示されていて、今でも多くのピカソファンが絶賛する作品となっています。

そして16歳へと成長したピカソの初期の最高傑作「科学と慈愛」がナチスのヨーゼフ・ゲッペルスが誕生した1897年に完成するわけですが、あまりにも完璧な写実風景なため、ピカソの人生の中でもかなり奇異な傑作であるとされています。ピカソの評価は、「アヴィニョンの娘たち」以降急激に高まっていくわけですが、それは芸術の革命家としての独特な評価であって、純粋に心を傾けられる「科学と慈愛」という作品は、その後ピカソがおこした革命の衝撃波によって、かき消された感はやむを得ません。

それでも、「科学と慈愛」のシンプルな構図と、引き込まれるタッチ、古典技術を駆使した美しい描写は、白を存分に生かしたピカソの本当の意味でのインパクトがここから誕生していたのです。しかしこの大作こそが、ピカソの反逆精神の火種となった事は言うまでもなく、この後わずか1年で写実的アカデミズムの道への歩みを止めることになります。