ピカソは幼年期に、闘牛をテーマにしたデッサンを多数残していますが、それらの習作は、ピカソの死後40年以上経った今でもピカソ美術館において、確認することができます。ピカソの学んだアカデミズムは、14世紀のヨーロッパで派生した写真のごとくリアルな絵画様式で、初期ルネッサンス、北方美術、盛期ルネッサンス、マニエリスム、北方ルネッサンスなどと呼ばれ、キリストや神話をテーマにしたものや、その中における女神や天使が裸婦像として描かれました。17世紀になるとバロック・ロココ美術時代になり、描く対象が、国王などの王宮貴族やその家族へと変わって行きました。
描く形式事態は、写真のように人間を表現することであり、それがキリストであろうと、女神であろうと、リアル描写という観点から見れば、同一のラインでそれぞれの時代が形成されてきたと言うことが分かります。19世紀になると写実主義や印象主義へ変わり、庶民の生活や労働、美を追求するための個人的な裸婦像も含めて、神聖化したものではなく、日常生活の一部を絵画として切り出すような、絵画の変換へと至りました。しかし印象主義は、かつての写実的な立体表現と言うよりは、原子核の解析から至らしめる、学術的な考えの下、派生した様式なので、アカデミズムの道からずれ込みが生じて、マスコミや評論家から酷評されるなど、マネやモネ、ルノワールなどの画家は、時代のひずみの隙間に短い時間ではありましたが、閉じ込められた感はあります。
そんな時代の後に誕生したピカソに、印象派以前のアカデミズムを叩き込んだ父親は若干時代遅れの年寄りであり、時代の変化を見誤っていた事に間違いないのですが、ピカソが写実的なアカデミズムを自己の絵画技法として取り入れた事は非常に大きな財産であった事に間違いはありません。なぜならアカミズム的な手法、いわゆる写実技法というのは、非常に多くの時間と忍耐、バランス感覚を要するものであり、目の前にモデルがいたとして、そのモデルの顔の特徴から人体までをそっくりそのまま写し取るという作業は、ベテランの画家でも困難な作業ですが、ピカソは13歳にして、それらの様式を忠実に取り込み、老人のモデルを描いた「学校でのヌードデッサン」を完成させています。
その後、ベラスケスやエル・グレコの絵画の模写を続け、順調にアカデミズムの道を歩み続けたかに見えたのですが、パリにてポップカルチャーに刺激を受けたピカソの本性が産声を上げました。しかしピカソは晩年になってもベラスケスの模写を続け、アカデミズムのタッチは廃れても、その想いというものは、死ぬまで持ち続けていました。もしピカソがアカデミズムの絵画様式を心底愛し、一生をかけて造り上げていたなら、レオナルド・ダ・ビンチを超える驚異的な世界を作り上げていた事は言うまでもありませんが、「ゲルニカ」を作成した時点で、絵画の概念を覆していることから、どの道天才は天才であったと言うことができます。
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