「この世で最も重要なモノは愛である」と言ったピカソのカラーというものは、憧れの女性への賛美という見方もできます。幸せであれば穏やかな絵を描き、苦しいときには暗い色が素直に使われると言うデリケートな精神を持っていました。愛と憎しみは芸術の宝であったとも言えます。

ピカソは、マティスと近い位置にいながらも、常に相対路線を突き進んでいたわけですが、ピカソがマティスの美的感覚に反応せずにはいられなかったことが分かります。そして適度な厚塗り技法を考慮していくと、その対極線上には、ヴァン・ゴッホの存在が浮き彫りにされてきます。

ピカソがカンヌのヴァロリスに住み始めたのが、今では平和の象徴になっている「鳩」を描いた1948年頃で、安息の聖地でさらなるエネルギーを放出し、芸術活動を活発化させました。絵画作品だけでなく、ブロンズや金属などであしらった立体作品も多数手がけています。

1920~1930年代の絵画作品では、人体と動物(牛や馬)や家具にいたるあらゆるものを融合し、余計なものは全て削ぎ落とすような試みをしています。その代表が「頭」や「海辺の人物たち」に描かれる人間を人間以外の物質で組み立てるという荒業に成功しています。