戦争と平和の狭間で誕生!ピカソの真骨頂は「モノクロ」!

ピカソは、1930年の「アクロバット」という作品で、ある種の新境地を開拓しました。シンプルに次ぐシンプル、そして大胆な構図と消えない印象、現在パリのピカソ美術館に展示されているこの絵は縦162cm×横130cmの大作で、平和だから描ける喜びに満ちた作品となっています。ピカソの1930年代は、まさに黄金期かつ傑作のラッシュの始まりであり、愛人マリー・テレーズと娘マイアとの幸せな生活は継続していました。「横たわる裸婦」や「眠る女」、「絵を描く少女」などの作品が生まれる一方で、世界はブロック経済の波に飲まれていきました。

まず1933年にナチスが政権を獲得し、1936年にはスペインの政府軍と反乱軍による内戦が勃発して、ナチスが反乱軍を支援し、第二次世界大戦の前哨戦とも言われる、激しい戦闘の渦にスペイン各地が晒されることになります。そしてゲルニカ爆撃により、ピカソの代表作「ゲルニカ」は誕生するわけですが、ゲルニカをテーマにした小説や映画は17作品にのぼるなど、いかに惨たらしい殺戮の現場であったかが分かります。

ゲルニカ爆撃が1937年の4月、「ゲルニカ」の習作は5月から6月にかけて50点ほど製作され、習作は全て紙に鉛筆で描かれました。ゲルニカは白、黒、黄色、青の絵の具が使われていますが、ほとんどモノクロで描かれており、6人の苦しむ人々と牛と馬で構成されており、縦3m50cm×横7m80cmのキャンバスに描かれました。

「ゲルニカ」はピカソの代表作と言われており、キャンバスの右に目を向けると、両手を挙げて泣き叫んでいるような人間の姿が描かれているのですが、ここでも「キュビズム」の手法が生かされていて、手も目も鼻も口も、写実的な人体ではなく、かなりデフォルメされた形状でラインが描かれているので、一見人か怪物か?と思うのですが、苦しんでいる様がリアルに表現されています。その横には人間の頭部が浮遊しており、これも悲しみくれた表情で、その目線の先にはランプに照らされた泣き声をあげる馬と、尾っぽが煙のごとく中に解けていく牛の姿が描かれています。

画面の所々に、砕け散った人体の一部が散乱していて、死んだ子を抱く母親、死に絶えたばかりの人の頭部が画面左下に配置されています。そしてこの絵画の最大の特徴として、これら一連の惨状が一つの部屋の中で起こった惨劇という設定のため、画面全体が引き締められて、どこに目を向けても、一つ一つのパーツが、相互リンクして、印象を強めているのです。

そしてモノクロベースの画面にしていることと、部屋のランプの光が相まって、陰影効果が優れた立体感を出している事から、ピカソの強い平和への意志と芸術家としてのプライドを誇示した結果と言えます。しかし芸術に強かなピカソは半年後、ゲルニカの習作を応用して、「泣く女」をはじめ愛人ドラ・マールの肖像の製作にとりかかっています。量産タイプのピカソに、完成した作品に対して、想いを馳せる暇はないのです。