余計なものは全てを削ぎ落とす!ピカソの原点はインパクト

ピカソの絵画は、鮮やかなべた塗りの色彩と、丸と四角の組み合わせとバランス、人体と空間の融合、写実性と抽象の狭間でゆれるドキュメントなど、非常にドラマチックなビジョンの形成が造り上げた産物と言えます。晩年のジャクリーヌの肖像に至っては、非常にシンプルで、古典主義の復活を思わせるような、リアルな描写のものから、即興的な技法で彩られた赤と青のコントラストが光る奇形的な表現にも取り組んでおり、自己の副産物を脱ぎ去った、純粋な画家・ピカソの輪郭が浮き彫りにされています。

ピカソはスペイン人らしくラテン魂が、絵画にも如実に再現されており、1920~1930年代の絵画作品では、人体と動物(牛や馬)や家具にいたるあらゆるものを融合し、余計なものは全て削ぎ落とすような試みをしています。その代表が「頭」や「アクロバット」、「海辺の人物たち」に代表される人間を人間以外の物質で組み立てるという荒業を成し遂げています。ピカソのエロスに対する真の追及は、アカデミズムから脱却した瞬間から始まっており、19歳で描いた「抱擁」は、その後のポップカルチャーに多大な影響を与えました。

パリの開放的な人々の交流が、モンマルトの風景描写に繋がり、娼婦や踊り子、商人など出会いが自身の制作意欲に直結するという、いかにパリと言う街が浮き足立っていたか、如実に現れています。とくに美術評論家の「ギュスターヴ・コキオの肖像」に至っては、背後に多数の絵画が飾られている肖像画ということも相成り、ゴッホの「タンギー爺さん」の影響をうかがい知る事ができます。その後セザンヌやアンリ・ルソーなどに感化され、ピカソ的インパクトが誕生します。1905年の「ピエレットの婚礼」は、うす塗りでかつ、写実的表現と、即興思想が組み合わされたような絵画で、煩雑な描き方が逆に、印象を増すような効果を作り上げています。

10年かかって、「キュビズム」の形成が完了した頃、写実的技法を用いた「椅子に座るオルガの肖像」を完成させていて、ここにピカソのアカデミズムの継承は冷めていなかったのだと言う事に気づかされます。それ以後、「パラード」に始まり、ルソー的な「水浴の女」、「オーギュスト・ルノワールの肖像」、「母と子」の連作など、次々に現実的な絵画作品を残していきます。

そしてピカソが現代美術の父なる存在に成り得たのも、カメラの普及が一般的になったことも大きく影響しています。好きな時に写真を見ながら、絵を描ける環境において、ピカソ自身が成長していったのです。ピカソとオルガの間に生まれたパウロの育児と共に、ピカソはその平和な風景を次々と写真に収めていったのです。そして、それらを写実的技法で描き、「新古典主義時代」の幕開けと共に、傑作ラッシュの1930年代へと突入していくわけですが、黒と白のコントラストが新たに加わることによって、独自の世界感が出来上がっていきました。