落書きが真の芸術!老人になってたどり着いた真骨頂は愛の形

ピカソの絵画形体は、モデルによって模写様式が変化すると言う特異な性質を秘めていますが、この技法は写実性を身に染み込ませ、ポップカルチャーの渦中で誕生した数々の変幻自在なる技から来るものであり、一般的な美術教育を受けただけでは、真似のできることではありません。マスコミの評価が右往左往する中、自信を持って挑んだ新型美術の形成を具現化することは、絶えず時代の異端児であり続けたピカソにとって、まさにかっこうの玩具と成り下がりました。

例えばピカソの青は、白を多く混ぜた透明感溢れるカラーであり、赤は血と肉の結晶と化した生きる証でもありました。緑と黄色は対比する一つの対角線上になす、補完的役割を負っており、ミクロな世界と宇宙との共通点を見出す物理学者のごとく、ピカソは単純な構図を用いて、喜怒哀楽とそこに派生する空間を瞬時に作り出しました。そしてその表現方法こそ違えど、時代を超えた真のエネルギーとして、放射状に散りばめられた様々なビジョンは、最終形態としてダークな肖像画、裸婦像、風景画へと形を変えていきました。

しかしピカソの中の孤独は、女性を虜にしただけでなく、それを糧に常に大きな一歩を踏み出すと言う、マイナス要素に化学反応を起こさせて、自己の立体的構想が花開いていきました。1950年代にやり遂げた悪なる社会的素因に対する改革宣言は、熱く白光した光電効果のごとく、強烈なインパクトを放ちました。その時にピカソの頭をよぎった若き日の自己に対する挑戦は、単純に子どものような絵を描き、それを具現化していくことによって、マスコミには背を向けられましたが、非常に情熱的な精神と体を磨き上げていったのです。

結果的に落書きはピカソの最大の武器であり、100号のキャンパスに油絵の具をぶちまけるかのごとく、煩雑に描くことによって、ビジョンは崩れ去りましたが、脅威の量産原理が表面化していきました。その中心にいたのが、二人目の妻、ジャクリーヌ・ロックです。ピカソの愛の形は、滑稽なものになり、ついには消え去るのかと疑う人もいましたが、逆に突発的な芸術を生み出していきました。

1930年代の安定的な色彩芸術に次元一つ分の企てをプラスすることによって、導き出された新手法、「ジャクリーヌの肖像画」から香る素直な愛の形体は普遍的なものであり、安心感と緩やかなリズムの調和から老人ピカソの行き着いた先が真の幸せであったことが証明されます。

2014年10月25日、ピカソの誕生日に合わせて、パリのピカソ美術館がリニューアルオープンすることになっていて、アバンギャルドなピカソの作品は、21世紀の今日も最先端を走り続けています。ただ今世紀中にピカソを超える画家が出てくるのか、全てを占う鍵は世界中のアートシーンを見守る以外にありません。身近な題材から、虐殺事件までを網羅したピカソの脳みそが、宇宙の果てまで広がり続けているのであれば、さらに光速を超えるような瞬発的な発想のプラズマ的頭脳構造が必要になってきます。