ギラギラの太陽の下!ピカソに更なるエネルギーを与えたカンヌ

ピカソ美術館はヨーロッパ各地(スイス、ドイツ、スペイン、フランス)に点在していますが、中でもカンヌのヴァロリスにあるピカソ美術館には世界中から多くの人が日々訪れ、歓喜に包まれています。ピカソが1952年に製作した壁画「戦争」と「平和」を所蔵しており、それぞれ縦4.5m×横10.5mという大作で、ピカソの作品の中で最も大きな絵画です。色鮮やかな色彩と、二度も経験した世界大戦を経て、刻まれた兵士と兵士の競り合いを表現した「戦争」、音楽に合わせて舞う子どもや女性を描いた「平和」には、ピカソの集大成とも言うべき方向性と思想が盛り込まれています。この二つの壁画はアーチ状になっている細長い礼拝堂の左右の壁面全体を覆いつくしており、写真では味わうことのできない感動を覚えます。

ピカソがカンヌのヴァロリスに住み始めたのが、今では平和の象徴になっている「鳩」を描いた1948年頃で、安息の聖地でさらなるエネルギーを放出し、芸術活動を活発化させました。絵画作品だけでなく、ブロンズや金属などであしらった立体作品も多数手がけていますし、ヴァロリスの伝統文化である陶器は、ピカソを感化させ、ロクロの壷や皿の製作へ導きました。また地中海性気候の温暖な気候は、ピカソの精神を安定させ、人物を中心に描いているピカソでも、ヴァロリスの街並みや海岸の景色を描かずにはいられませんでした。

そしてピカソの晩年の作品の特徴としては、使用したキャンパスが大画面であることです。「おもちゃの車で遊ぶ子ども」や「犬を抱いて寝る女」などの作品は、非常に安堵感に満ちているものですが、縦横1m前後です。その後もピカソの量産が活発化しても、ダイナミックな表現に拍車がかかることはありませんでした。1957年9月、「鳩」という題名の油絵を9作描いていますが、全て40号以上の大作であり、76歳の老人の内に秘めるバイタリティーがいかに富んでいたかを見せ付けられました。

何よりもピカソの最晩年と言うのは、青年時代に模写したベラスケスの絵画の再構築に挑み、その形式は写実的ではないにしろ、立体感と簡素な空間の交差により、バラエティーに富んだピカソの真骨頂がきらびやかに彩られているところが魅力的です。ピカソが父親の美術教育を受けてから60年以上経過した後の原点回帰は、ピカソ絵画の研究に余念がないヴィルヘルム・ウーデなどの評論家たちを唸らせた事は言うまでもありません。

ところが、1960年代に入るとピカソを賛美してきたマスコミの評価が下がり始めます。理由として挙げられるのが、ピカソの描く輪郭が弱くなって、インパクトの中軸があいまいな表現へとずれ込んだという事が挙げられ、大胆なタッチは健在なのですが、色のコントラストがダーク色に落ち着いてしまった感は否めません。それでもピカソはピカソです。死の直前に描いた「横たわる裸婦と頭」も50号の大作で、女性を表現しているところもピカソのビジョンはぶれていなかったのだと言う事が分かります。